〔寄稿〕ウトロ放火事件公判を傍聴して

 昨年8月30日、ウトロ地区で平和祈念館に展示予定の看板や、看板を保管していた空き家など7棟が焼けた放火事件で、非現住建造物等放火等の罪に問われた有本匠吾被告(奈良県在住、無職、22)の公判が5月16日、6月7日、同21日に行われました。21日の論告求刑公判で検察側は被告に懲役4年を求刑しました。判決は8月30日に言い渡されます。

「ウトロ放火事件公判を傍聴して」

 在日朝鮮人に対する差別感情からウトロ地区などを放火した男の公判が6月22日に結審した。

 その公判を傍聴した後の私の感情は、怒りというより恐怖心であった。

 それは、公判の最後に裁判官から「発言することはあるか」と問われた被告が、「一言申しあげたい」と言って始めた言葉を聞いたからである。

 発言の要旨を紹介する。

 「多くの困窮者が支援を受けられず多くの南米・アフリカ・東南アジアの国々の人々が見殺しにされている。一方で、戦争の被害者であるという一方的な理由によって国民以上に支援を受けようとしている人がいる。…私のような彼らへの差別偏見、ヘイトクライムに関する感情を抱いている人は国内のみならずいたるところにいるというところを改めて指摘しなければならない。…今後、同様の事件、さらに凶悪な事件さえも起こることは容易に想像できる話だ。…今後ふたたび起こるであろう同様の、それ以上の事件について、何を背景としているのかを考えて行かない限り、今度は本当に(あなたたちは)命を失うことになるかもしれない。」

 これが、特異な一人の人間の発言というだけなら、その者に対する怒りだけで終わるかもしれない。しかし、民団各施設への攻撃やコリア国際学園への放火など、昨年から相次ぐヘイトクライム事件を見ると、同じような考えを持つ人間がこの日本社会には少なからずいると思われる。その現実を目の前につきつけられ、怒り以上に恐怖の心が湧いてきたのである。被害者に対する謝罪や反省の言葉を述べるどころか、自身の歪んだ差別心に基づき、これからも在日朝鮮人に対するヘイトクライムが起こるだろうという「犯罪予言」を裁判所という公の場でやってのけたのである。

 しかし恐怖心から怖気付いている場合ではない。これ以上の不当な攻撃が行われないように、今こそ社会の良心を信じ、在日朝鮮人に対する不当な差別に抗うため、より一層の声を上げる時だと思う。

     (京都同胞生活相談センター所長:金賢一)

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